白老八幡神社の前身は、江戸時代に建てられた弁財天社である(東蝦夷日誌 1700年・函館図書館蔵にて)。 寛政10年(1798年)幕府蝦夷地調査隊 近藤重蔵一行の秘書役として択捉島探検に同行した木村賢次の『蝦夷日記』に 「シラヲイ川舟、シラヲイ泊、弁天社あり」の記述がある。その後、万延元年(1860)8月場所請負人初代野口屋又蔵の願いで誉田別神を 勧請し、ここに弁財天社を八幡社と称するようになった。当時の建築規模等については、明治元年(1868年)一関藩が政府に引き継いだ際に作成した 寺社並神職僧侶調』によれば「辨天社壱宇 往古ヨリ有来候 但三間二二間云々」とある。
明治8年3月開拓使より郷社に指定され同年別格豊受大神を合祀し、白老、敷生、社台三ヶ村の白老郡郷社八幡神社となった。
大正4年旧社殿を新築したが、昭和20年マッカーサー指令により郷社が廃止され、同27年白老八幡神社と改称して現在に至っている。
現社殿は昭和47年に再建された5代目のもの。また社務所は同54年、神楽殿は同57年に建築され、平成16年道内屈指の大鳥居が建立された。
平成19年6月には『第58回全国植樹祭』に於いて、当神社御神木「誉の松」が天皇陛下お手蒔樹に選定されました。
鎮座地 | 白老町本町1丁目1番11号 |
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祭 神 | 市杵島姫神(弁財天) |
誉田別神(八幡大神) | |
豊受姫神(稲荷大神) | |
宮 司 | 鈴木琢磨 |
禰 宜 | 鈴木 豪 |
高さ16m×幅20mの、全国屈指の大鳥居。
平成16年に建立。
日没後にはライトアップされ、幻想的な姿が
浮かび上がります。
明治14年9月3日明治天皇本道御巡幸の当時、白老村・大沢修二郎邸を行在所(あんざいしょ)となされ、その庭園にあった イチイ樹(オンコ)があまりの見事さに、陛下のお褒めの言葉を賜り、御製(陛下の句)を短冊に示し誉の高い松として、 その後白老八幡神社境内に移植されました。
昭和47年3月1日には、北海道開道百年記念銘木樹に指定され、白老八幡神社の御神木として、現在まで氏子・崇敬者に大切に守られてきました。
平成19年6月24日、『第58回全国植樹祭』が、苫小牧市静川で天皇・皇后両陛下ご臨席の下「お手植え」「お手播き」の儀式が執り行われ、 その「お手播き」樹に当神社御神木「誉の松」が選ばれました。
永い歴史の中で明治天皇のお褒めを頂いた松が、ひ孫様にあたる今上(現)陛下の御手で「お手播き」が執り行われました事は、
ひとしおの慶びと共に感激の極みでございます。
この光栄を永く後世に伝えるべく、平成19年9月、記念碑を建立いたしました。
塩竈桜(天然記念物)
神楽殿
日高石
手水舎
神門
社務所
社殿
灯籠
春日灯籠
布袋像
十三重塔
西門
神額
狛犬
忠魂碑
水天宮・秋葉山大権現奉斎
雪見灯籠
社務所前東屋
玉垣
社殿内祭壇
春日大灯籠
恵比寿像
大黒天像
お百度参り
御影石参道石畳